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2017.09.12 (Tue)

或いは同属嫌悪の言い訳で

自分がリーディングライブ(朗読・朗読劇公演)に初めて着手したのは2007年からでした。名作中の名作「クリスマス・キャロル」出来栄えや自分の仕事にこそ未熟さや課題は多々ありましたが、自分の人生を変えたといってもいい公演でした。

流石に当時はリーディングライブ、って言葉自体はまだ無かった、或いはなじみが薄かったような気もしますが、それよりずっと前から朗読という表現形態は存在してますし(当然ですね)、そしてここ数年からグッと数が増えてきたように見受けられます。

朗読公演が増えてきた理由を考えてみますと……








【More・・・】

 
・手に台本を持つから台詞を覚えなくて済む。
 (実際はそんな単純なお話でも無いんですけど)
・上記理由により稽古日数が少なくて済む。
・セットや衣装など舞台美術が不要。
 ()
・オンマイクで無いなら芝居小屋に限らなくてもよい。
・上記理由により照明・音響設備にもあまり拘らなくて済む。
 (凝った演出を見せてる公演も沢山ありますが)
・同じく上記理由によりそこまで必死に集客したりチケットノルマに追われなくてよい。
 (ノルマ制が日本の小劇場やライブシーンを閉塞化されている、なんて意見も根強いですよね)

……つまり最大の理由は「お金がかからない」からではないかなーと思います、率直に言いますと。私も過去のエントリーで同様の事を書いていますし。しかし見方を変えてみると、あまりポジティブな理由とは感じないかも知れませんね(企画側としては非常に重要なメリットですが)

勿論、それだけプレイヤーの技量(演技力に加えて、声の魅力と台本の読解力、アナウンス技術が厳しく問われます。所謂演劇とは比較にならないレベルで)や演目の純粋なクオリティが公演の良し悪しに直結する、結構シビアな面もあるのですが……それゆえに時折、何故朗読という形態を採っているのか、そして「芸事」や「興行」というものをどう捉えているのか、よく分からないものも時折見受けられます。


プロ・アマ共に、労働やコスト、成果に見合った報酬を必ず手にするべきだと思っていますが……覚悟も無く畏れも無いド素人の分際で分不相応な承認欲求を肥大化させ、技量に見合わぬゼニカネへの汚い執着を隠そうともしない公演、ライブ、イベントを見かけると……どうしようもない憤りと生理的嫌悪感を禁じえません。

或いは己を省みろ、お前はどうなんだ、ああなってはいないか、という天啓なのかも知れませんが。
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