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2010.11.15 (Mon)

見苦しくも作者自身による「Dis;calling」論考(?)

さて、ここでは11/13、14のふたり芝居@新中野ワニズホールにて初出しました
拙作Dis;callingを脚本家として自己総括したいと思います。

最初はこれ、ふたり芝居への持込み用のストックとして、
台本を持たない純粋な芝居で上演されるのを想定して作ってたんですね。
組み合わせが決まるまでは、まだプロットを有る程度作りこんだ位の状態のままで。

それが、斎藤悠とのタッグで出演する流れとなり、
しかし男性二人による台本がまだ無く……。

じゃあ、ってんで時期尚早ながらも持ち込んでみたら
オーナーの古賀さんからあっさりOKが出ちゃったんですね。
あまりじっくりチェックしてはいなかったっぽいけど……(苦笑)

急いで朗読にも対応できるよう台詞を加筆、編集して、
効果音を合間合間に挟んだラジオドラマ風に仕立てたのですが、


「どうして舞台上で本を持っていたのか」
朗読というスタイルにした必然性がよく分からない」
「オチが弱い」
「なんとなく青春アドベンチャー」←狙い通り!
「最初しゃべり方に癖があったが目を閉じて芝居を聴いたらしっくり来た」
「台詞の言い回しが橋田寿賀子???」←古めかしかったらしいです


……といったご意見を頂きました。ううむ精進が足らないなあ。

出来れば完全な芝居で再演して欲しいですけどね、俺以外の誰かが(笑)

良かった、というか有意義だったといえそうな点は、
本当に今回は二人で一から完成形まで持っていった事ですかね。

まず自分がゼロから台本上げて、基本プランの叩き台出して
自宅PCでSound Engine FreeをDLして音響素材を作成。

斎藤が台詞やプランニングの不自然な箇所や不自然な演技のチェック。

お互い手探り、重なりまくるメールでのやり取り。

二人とも自分の事がよく分からんのにそれ以外の領域にも口を出さねばならぬ。
なにそれこわいwwwwwwwwwwwwwwwwww

ええ、相当ストレスは溜まりました(特に斎藤が)

ただ自分で書いた台本って中々客観的な推敲が出来ないクチなので
色々と意見が貰えたり現場を通して研磨出来たのはありがたいし
色々とデータやノウハウを蓄積する事が出来てこれまた勉強になりました。
「Dis:calling」で検索したら私のページがヒットするようにもなりましたしね。

あとは先述の通り、完全版「Dis;Calling」をどなたかの手で舞台にして欲しいなあ、とw


【More・・・】

おまけ。

前半では、台本を世に送り出した経緯について触れましたが、
ここから先は「Dis;calling」の根幹について、自己解説していきたいと思います。
ネタバレを含みますが、上演後なのでまあいいでしょうというていで。

タイトルは、呼び声,叫び、点呼、召集等の意味がある「Calling」に
見下す、非難する、軽蔑といった否定的な意味合いを持つ「Dis」を付けた造語です。


対話、通話、交流を求める「Calling」に
ネガティブな「Dis」を否定語として付け加える……。

でも作中ではその「Calling」を一番想起させそうなのが携帯電話で、
「Dis」としての行為は、持ち主である男性が、それを破壊する行為でした。
つまり逆になってるんですね。

携帯電話は作中の彼の「偽りの対話」の象徴、と言えます。
登山など自然への回帰願望をそこかしこに散りばめたのは
それに対する凄く即物的なメタファー(狙い過ぎた感がありますが)

男性が山奥のボロ小屋で出会った“あいつ”ですが……
あれは……まあお察しの通りって事で。
彼が冬を嫌っていたのは、雪が積もるとこだまが吸われてしまうから。

暗示めいた、すれ違いっぽい台詞を一杯散りばめてありますが、
これは最初サスペンス要素を加味してお客さんを霍乱したかった意図もありました。
しかし朗読形式で行くには却って仇になったみたいですね、無念!

で、原型を一度作ってから気づいた、という後付のものではありますが、
この作品の根幹には「自殺肯定論への反駁」が有ったみたいです。
少なくとも、それに似た何かを無意識の内に作品へ込めたのかも知れません。

勿論、現実がそう甘くは無いことも承知の上です。流石にイイ歳なんでね(笑)

自殺の定義は「自分が自分を殺す事」って事になっていますが、
あれは正しくは「自分に殺される事」だと思うんですね、あくまで受け身。
同じ状態を表す自決、自害とはまず混同できない、似て非なるモノでは無いでしょうか。
分かっていただける向きには分かって頂けるのではと。
(まあ自慰と自涜は意味や内容は同じなのに付いてる字が違いますけどもー)

こう書くと自殺者を敗者呼ばわりしてると思われるだろうか?
でも「弱者による最後の抵抗だ」なんてナケナシの麗句で美化するのも、
生きている人間による傲慢で不謹慎なロマンティシズムでは無いかなあ。

「生きていればきっと良い事が有る」なんて確かに甘っちょろいし薄っぺらい。
でも、誇張かもしれないけど虚構じゃない。嘘っぱちじゃあない。

だって私達は、何だかんだでこうして生きているんだから。

私は他者への害意は人並み以上に持ち合わせている人間です、ぶっちゃけ。

それでも、自分に殺されてしまう人間が後を絶たないのは
“あまり喜ばしくない”とだけ、書いておきたいのです。

この娑婆での忌わしい出来事を招く引鉄の一つは“孤立”だと思います。
そしてそれらは“本当の対話”でしか払拭できないのです。

作中の彼が、果たして社内でどのくらい「社畜by佐高信」だったのか、
どのくらいのミスを犯して会社にどの位の損害を与えどの位の超過労働時間を越えて来たか
不倫していた女はどんな素性だったのか、正直私も知らなかったりします。

そこまでに至ったのには自業自得だった面も少なからずあったと思います。
でもそれが「自分の手で殺されるほど」だったのか、やっぱり知らないんですよ。

「会社のケータイぶっ壊して清々しい気分も糞もねーよ!」
そう思われた方もいらっしゃったかと思います。はっきり言って私もそう思います(笑)
でも会社に潰されて音も出なくなって葬式出されるくらいだったら
ケータイ潰してどっかで生き延びてくれた方がマシかもな、とも思います。

あの程度じゃ本物の絶望は救えないかも知れない。

それでも、誰かが何処かで救われてくれる事を願い。

作品を発表することで、いわば私自身のそういう安易さも甘さも、
同時に表現したつもりです。露見とも言うか、いやどちらも等価値です、きっと。


人間ゆえの、己の弱さで苦しみ惑う羽目になった愚かしくて罪深い「彼」が、
また来年もあの峰から四季を慈しんで欲しいんですよ。
その時の彼を巡る境遇がどうなっているのかまでは、分からないけれど。
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テーマ : 日記 ジャンル : 日記

タグ : 朗読 演劇 Dis;calling

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